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2009年10月5日(月)萩京子

ウィーン公演初日。



ユーゲントシュティール劇場、およびオットー・ワーグナー病院について、さらに情報を得た。
昨日の日記にアールデコで統一、と書いたところはアール・ヌーヴォーの間違い。
失礼しました。
そもそもユーゲントシュティールとは、アール・ヌーヴォーのことなのだから、ユーゲントシュティール劇場とはアール・ヌーヴォー劇場ということなのであった。

建築家オットー・ワーグナーは、カールスプラッツ駅舎が代表作。
ここオットー・ワーグナー病院内の教会も代表作のひとつだそうだ。
この病院が建てられたのは1907年。
1940年から45年までナチスの占領下となり、そのとき、多くのユダヤ人の子供や身寄りのない1歳半から15歳までの子供たちが、この場所で人体実験の犠牲となった。
1000以上の遺体が発掘され、別の墓地に埋葬されているとのことだが、劇場前には、犠牲となった子供たちのための慰霊の花壇が作られている。
「MAHNMAL FUR DIE OPFER VOM SPIEGELGRUND」と書かれた立て看板があり、地元の小学生がデザインした花壇に772本のろうそくをイメージした照明がしつらえられていて、夜になると点灯する。



昨日までこの劇場、またこの劇場のある場所についてほとんどなにも知らなかった。
新しい表現を受け入れる劇場という認識だった。
それがここに来て、この劇場をとりまく現実を知ることで、この劇場、この場所で公演することの意味が大きく胸に迫ってきた。
この劇場で『変身』を上演することの意味はとても深い。
ウィーンという伝統の街で公演する意味に加えて、20世紀という時代を体験したひとつの都市の顔が見えてきて、夜の本番に向けて、今までにない高揚感を覚える。

19時半開場、20時開演。
遅い開演である。
座員は20時開演に慣れていないので、なんとなく落ち着かない。

ロビーには、ちょっとしたおつまみがテーブルの上においてある。
観客はワインなど飲みながら開演を待つ。
病院内の患者さんは自由に劇場に来ていいことになっている。

さて、開演。
とても響きがいい。
ヴァイオリンなどはほんとうにヴァイオリンらしい音が鳴り、隠れた音が見えてくる。
書かれた音の意味が新たに見えてくる瞬間だ。
観客は少なかったが、ラジオや情報誌などでこの公演のことをキャッチして来てくださった、とても貴重な観客だ。
音楽、ことば、演技の行方に集中している。
客席内にピンとはりつめた緊張感がある。
一幕の終わり、とても暖かい長い長い拍手。
一幕の終わりでこんなに長い拍手をもらったことはない。
二幕の終わり。「出発」のとき、この場所で犠牲になったこどもたちのことを思って、胸がいっぱいになってしまった。
終わってからの拍手も熱く、ブラボーの声も出た。
ロビーでの送り出しをして、そのまま、ロビーで乾杯になった。
お客様も自由に残って、感想を述べてくれる。
「とても心に響いた。」
「カフカをこのように表現することに驚かされた」
「音楽がすばらしい」「演出がすばらしい」「照明がすばらしい」
等々、たくさん声をかけてもらった。
日本からかけつけてくださったお客様も、とても良くなっている、と喜んでくれている。

3ヶ国目、どの国でも仕込みで大変苦心している。
でもその成果が、このような舞台に実を結んで、とてもうれしい。
本番がうまくいきさえすれば、ほんとうに疲れも悩みも吹き飛ぶというものだ。
このうれしい瞬間のために、ひとつひとつ問題を解決しながらここまで進んできたのだなあ。
2009年10月4日(日)萩京子

歌役者と演奏者は16時集合なので、少しゆっくりできるかな。
スタッフと制作は10時に劇場に入る。
劇場内を暗くして、照明づくりの作業。
楽屋にしているスペースは客席から幕で仕切られているだけなので、明かりがもれてしまうから電気をつけることができない。
志賀さんと私は光を求めて、ロビーに机を運び込んでパソコンを広げる。
ロビーは外の明かりが差し込んで、明るくて暖かくて、まるで南半球である。

この劇場ならびにこの病院に関する情報が増えました。
まず、病院の名前になっているオットー・ワーグナーは、有名な建築家で、この病院は彼の設計・デザインによるものだということ。
病院の中心を縦に一直線に見ると、一番上に教会、そこから下って厨房棟、その下、敷地内のセンター部分に劇場、その下に本部、そして門である。
敷地の右半分が精神病棟、左半分が結核患者のサナトリウム。
すべての建物、壁、屋内の装飾等、アールデコで統一されており、たいへん美しい。
教会のみならず、劇場も観光客が見に訪れる。
私たちが舞台の準備をしているときも、観光客がやってきた。
すかさずチラシを渡す。
この劇場は元々何に使われていたのだろう、と昨日思ったが、元々劇場として建てられているのだった。
病院のど真ん中に劇場という発想がおもしろい。
ひとつの思想ですね。

教会の中に入ってみた。



パイプオルガンも設置された本格的な教会。



修復されて真新しい美しさである。
ステンドグラス、床のタイル等も絵柄がおもしろくて美しい。

うれしいニュース。
昨日の路上演奏を見た人からチケットの申し込みが入ったのである。
具体的な効果が現れて、狂喜乱舞する!

さて、17時から止め通し。
会場内はとてもよく響く。
言葉が伝わらないわけではないが、歌は少しボワンとしてしまう。
器楽の音は大変クリアに聞こえる。



ピアノはZAPKAというメーカーのもの。
ウィーン製と書いてある。
かなり古いもののようだが、不思議に良く響く。
ザムザ・・・カフカ・・・ザプカ・・・ですね(笑)

夕食は日本式中華弁当、餃子やキムチが入っている。
お箸袋にはキティーちゃんの絵が書いてあって、キティーちゃんが「danke」と言っている。

21時終了。
洗濯が途中(洗濯機が回っていて、途中停止ができず)だったため、制作の土居、田上、舞台監督の菊地凡平さん、久寿田さんが劇場に残り、他のメンバーはチャーターバスにてホテルへ。

南駅のコンビニ風の店でビールと水を買い求める。
水について言えば、青いキャップがガス入り。
炭酸の程度がマイルドなタイプもある。
ガスなしは、ウィーンではピンクのキャップ。
ガスなしのお水で、「おーいお茶」の粉末を溶かして飲むが、どうも味が変だ。
水になんとなく味があって、それが邪魔するのか、硬度が高いからか。
ビールについて言えば、レモン味のビールがはやっているようだ。
ビールのサイダー割りにレモンを垂らしたようなもの。
缶ビールの棚の4分の1ぐらいに、レモンの絵が描いてある缶ビールが並んでいた。
日本でもそのうちはやるかもしれない。
2009年10月3日(土)萩京子

ウィーン公演の会場、ユーゲンシュティール劇場での仕込み。
ホテルは南駅の側のコングレス・ホテル。
劇場は中心部の西側、少し離れたところにある。
朝の渋滞を恐れてちょっと早めの8時10分ホテルのロビー集合。
チャーターバスで全員、劇場へ向かう。

劇場はオットー・ワーグナー病院の敷地内にある。
敷地は大変広々としていて、緑に溢れている。
この病院は精神病院あるいはサナトリウムというべき施設で、病院前のバス停の名前は、「精神病院前」となっている。
ユーゲンシュティール劇場はウィーンでの新しいオペラ、シアターオペラ、その他実験的、前衛的演劇が頻繁に上演される劇場だ。
劇場の建物は、元々は何に使われていた建物なのだろうか?
舞台があり、客席フロアーは会議にも、ダンスパーティーにも使えるような空間だ。
厨房もある。
今回私たちは、舞台は使わず、舞台の前の空間を演技エリアとして使う。
客席は仮説で、すでに劇場スタッフが設営をすませてくれていた。



現地の照明スタッフ3名のうちのひとりが、熱を出して来られないという。
明日からの3日間動ける人を急遽探してもらい、今日は支配人のマウラー氏が照明の仕込みに入ってくれることになる。



マウラー氏は奥さんとともにこの劇場を切り盛りしている。
企画制作・舞台・照明・情報宣伝・販売その他すべてお二人でこなしているようだ。
「私が劇場です。」と言っていた。

今回、神戸から大田美佐子さんが手伝いに参加してくださった。
大田さんとは、古くは1989年だったか、こんにゃく座が東京の夏音楽祭に出演した際、「二人の漁師と乳売り娘」というオペレッタのフランス語からの翻訳をお願いしたときからのおつきあいだ。
その後、クルト・ワイルの研究でウィーンに留学されていた。
私は2000年にウィーンを訪れた際、大変お世話になった。
そして、いつかこんにゃく座がウィーンで公演できたらいいね、という話をしていた。
それから9年たって、今回ついに念願のウィーン公演が実現することになったことを、今はもう帰国されて神戸で教鞭をとられている彼女に報告したら、ぜひ協力したいと申し出てくださって、手弁当でかけつけてくださったという次第である。
大田さんはブレヒトの作品が日本人作曲家によってどのように作品かされているかについても研究されていて、林光、萩京子、寺嶋陸也は研究対象でもある(笑)。

さて、夕方からの恒例の路上宣伝パレード。
いったいウィーンのど真ん中でできるものなのだろうか?
いろいろな人に聞いてみるが、まあやってみて、なにか言われたら立ち去ればいいのでは、という具合なので、どにかくやってみることにする。
大石さんは布や塗料を買いにでかけ、横断幕を作成。
楽士の面々は自由行動の後、17時30分にオペラ座の前で待ち合わせ、ということにした。
オペラ座=国立歌劇場=シュターツオパー・・・、いわゆるオペラの殿堂ですね。
現在の芸術監督は小澤征爾。
昨晩は「スペードの女王」が上演されていたはずだ。
オペラ座すぐ横の、楽譜やおみやげものを売っているアルカディアというお店の人に、この目の前で演奏してもいいか、と聞いてみた。
すると、この近辺はきびしくて、事前の許可が必要で、無断でやって捕まると罰金が高い、とのこと。
さて、どうするか・・・、と考える。
警察に言って、「やらせてくれ」と言おうと思い、警察にたどり着いたが、土曜の午後のためか、ベルを鳴らしても出てこない。
では、警察に届けようと思い警察に行ったが、留守だった、ということが、免罪符になると思い、路上演奏を決行することにする。
クラリネットの橋爪さんが迷子になってなかなか現れなかったので、30分間オペラ座の前で、横断幕を張って、チラシ配りをしていた。
受け取ってくれる人、受け取ってくれない人、話しかけてくる人など、いろいろである。
ブカレスト、ブダペストでは、受け取ってくれない人はほとんどいなかった。
ウィーンはさすがに少しツンとしている。
敷居が高い。
横断幕に「日本オペラ・・・カフカーオペラー変身」と書いてあるので、注目を集めることはできるようだ。
「カフカですか」とか、「どこでやるのですか」など、声をかけられると、うれしい。
ひとりの中年の男性から「オペラ座の前で、このようなデモンストレーションをやる勇気に敬服する。」と言われた。
オペラ座(国立歌劇場)の保守性にうんざりしている人もいるわけで、私たち日本のオペラ一座の行動も意味深いものと受け取られたわけだ。

さて、私たち路上演奏隊のコーズは、オペラ座前~アルベルティーナ広場~ノイア・マルクト~シュテファン大聖堂前~王宮前・・・というこれぞウィーンという場所ばかり。
警察の目を逃れながら(笑)、歩いた。
演奏すると、人々は立ち止まってくれて、聞いてくれる。
レパートリーはブダペストと同じ5曲。
「夢の番人」「雨の音楽」「35億年のサーカス」「岩手軽便鉄道の一月」「十二月の歌」。
道行く人に「とてもすてきな曲だ。これがオペラのなかで演奏されるのか?」と聞かれる。「変身」のなかの曲ではないので、ちょっと困ってしまうが、笑ってごまかす(笑)。
最後の王宮前では、小さな一歳半くらいの男の子が、私たちの演奏に合わせてからだをゆすってずっと踊っている。
私たちから目を離さない。
かわいくて、うれしくて、心細さも疲れもふっとんだ。

終了後、歌役者と演奏者はホテルに。
私たち制作チームは劇場に戻る。
夕食はコーディネーターの片山さんが作ってくれたカレー。
ご飯は制作の土居麦がお鍋で炊いた。
劇場に厨房があるのは良いことだ!
たいへんおいしかったです。
10月2日(金)萩京子

ハンガリーからオーストリアへの移動。
出発は10時。
私はどうしても中央市場を見ておきたかったので、相ちゃん(相原智枝)と朝6時半にホテルを出て、地下鉄に乗って市場へ向かった。
相ちゃんはおみやげを買う目的で、私はただ市場が見たかったから。
私は市場とか郵便局とか駅がとても好きなのである。
市場は6時から開いている。
一階が野菜、肉など。
地下が魚介類、それから各種酢漬けコーナー、その他いろいろ。
隅の方に鹿の肉らしきものも売っていた。
角の大きい鹿の絵が書いてある。
肉も黒っぽい。
2階の民芸ものコーナーはほとんど開いていなかったが、各階いろいろ見て、大満足して、ちょっとサラダバーのようなコーナーで、野菜サラダを食べてホテルに戻る。
同室の岡原はヴァイオリンの手島さんと早朝温泉。

10時、バリさん運転のチャーターバスで出発。
今日はハンガリーとオーストリアの国境を越える。
いつかオペラにしたいなあ・・・と思っている小説、アゴタ・クリストフの『悪童日記』の舞台がハンガリーとオーストリアの国境の村なので、興味深く景色を眺める。
と、↑このように書いておくと、オペラ化の実現性が高まることを祈って(笑)。

バスはずんずんと進み、国境の手前、ギョールという町の大型スーパーで昼食となる。
またまた皆、ハンガリーのお金フォリントを使い果たそうと苦心する。
スーパーでは手押しのカゴを借りる際にコインが必要で、戻すと帰ってくる。
面倒くさいのでカゴなしで買い物しようとしたら、結構大変だった。
レジ袋もほとんど有料だ。
ルーマニアのスーパーではリュックで入ってはいけないところがあり、リュックで入るとリュックは透明なビニール袋にパッキングされてしまう。
いろいろおもしろいです。

さて国境だが、実にさっぱりしている。
高速道路の料金所が無人化したような感じ。
ETCで通過というぐらいの感じです。
ノーチェックだった。
と思いきや、すぐに入ったガソリンスタンドに駐車中にちょっとしたお調べが入る。
だが、パスポートチェックはなし。

国境を越えると、ウィーンは間近だ。

東ヨーロッパのおもしろさ。
東ヨーロッパには東からの目線、という意味でアジアの東の端の日本と共通するものがあると思う。
西からの影響を受けながら、最終的には西を目指すのではなく、東独自の質をみつけていく。
経済的な困難さを伴いながら。
ルーマニア、ハンガリーには、とても親しみを感じた。
そして今、オーストリアへ入ってくると実に表玄関に近づいた、という感覚がある。
音楽の都と言われているウィーンで勝負する、という気負いがないこともない。
だが、実はそんな勝負、という感覚よりも、いよいよ楽しさが増してきた。
というのは、西洋音楽の伝統のどまんなかで、日本でつくられたオペラ「変身」を見てもらうことの成果が、はっきり見えてきたからだ。
ブダペストのディレクターが言ってくれたように、オペラ「変身」はヨーロッパの人たちにとってかなり刺激的であり、私たちの公演は彼らの鏡としての機能を持った。
私たちにとっては、自分たちのやってきたことを再認識、再発見するチャンスでもある。

旅の行程のちょうど真ん中。
移動中はいろいろ考えることができる。

16時すぎにウィーンのホテルにチェックイン。
制作の麦と舞台スタッフは、バスで劇場に向かい、コンテナーを切り離して帰ってくる。
今日は見ることはできないと言われていた劇場の内部も見ることができたそうだ。
歌役者諸氏はフォルクスオパーに「ガイズ・アンド・ドールズ」を見に行った。
19時、萩、土居、田上、志賀さんは、ウィーンのコーディネーターの片山さん、通訳の千野さん、野村さん、お手伝いに神戸からかけつけてくださった太田美佐子さんらと、打ち合わせを兼ねた食事をする。
ホテルの近くのボヘミアンレストランだった。
プラハ風スープというのを頼んだら、内蔵入りのすごい迫力のある代物だった。
元気が出てくる。
打ち合わせ終了後、萩は速やかにホテルに戻り、たまには早めに寝ることにした。
2009年10月1日(木)萩京子

ブダペスト公演2日め。
全員の集合は16時なので半日観光ができる。
王宮ツアー、動物園ツアーなど。
(全員の動きは把握できていません。)
私は楽士チームと音楽家系照明家の成瀬さんとともに、バルトーク記念館に行く。
バルトーク記念館はブダ側の郊外にあり、地下鉄とバスを乗り継いで、さらに少し歩かないとたどりつけないところにある。
コーディネーターの桑名さんの車とタクシーに分乗してでかける。
見晴らしの良い気持ちの良いところで、建物もとてもきれいだ。
実際にバルトークが暮らしていた建物で、静かな住宅街のまんなかにある。
バルトークが使っていたベーゼンドルファーのピアノやテーブルや椅子を興味深く見る。「こんな気持ちのよい部屋なら作曲がはかどるね。」などなど寺嶋、萩はつぶやく。
昆虫や草木の採集などもある。
ファーブルさんのようだ。
2階のフロアはコンサートができる空間になっていて、クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのトリオがリハーサルしていたのを、のぞかせてもらう。
お昼から本番とのことで、外には高校生がたくさん集まっている。
一種の芸術鑑賞教室のようなことらしい。

バルトーク記念館に来てあらためて、ここがハンガリーだということや、自分が音楽家である、ということを思い出した。
ということを皆に言ったら、おおいに笑われてしまったが。

楽士諸氏は王宮へ。私も王宮へ行ってみたかったが、あきらめて劇場へ。
劇場近くで、海外ツアーには参加していない『変身』スタッフへのお土産の買い物。



伝統的な刺繍のテーブルクロスやフォアグラの缶詰エトセトラ・・・。
それから、劇場のラウンジで旅日記を書く。
そうこうしているうちに集合時間になる。
舞台監督の凡平さん(最近はミスター・ボンと呼ばれている。)より、バラシ、積み込みの説明。
公演が始まってしまうと、もうあっという間に終わりが近づく。
そこへ、演劇評論家の七字英輔さんが登場。
私たちは東欧ツアーを計画するにあたって、七字さんにはいろいろご相談にのっていただいた。
七字さんは今回名取事務所の東欧ツアーに同行してオーストリア、ハンガリーをまわってブダペストに着いたところだということで、わざわざこんにゃく座を訪ねてくださった。

さて、開場前に45分間くらい稽古をする。
昨日の本番はとても良かったが、一幕をもっとひきしめるとさらに良くなると思う。

さて本番。
昨日見てくださった方の口コミもひろがり、今日は椅子を追加して出すことになった。
ほぼ満席だった。
昨日よりさらに反応があり、笑いもたびたび起こる。
音楽もとても良い流れだ。
これはバルトークのご利益かな。

拍手は手拍子になり、3回のカーテンコール。
大石の挨拶。
「ブダペストで公演できてうれしかったけれど、もう明日はバイバイです。」
これには客席も大受け。
通訳さんと座員およびスタッフはずっこけた。
「こんにゃく座がまたブダペストで公演できるように、みなさん協力してください。」
これにも一同大受け。
小さい空間がよりフレンドリーな雰囲気になり、恒例の送り出し。
その後、メルリン劇場のディレクターの申し出で、皆衣裳のままシャンペンで乾杯する。
ディレクターは今日の公演に対して、「今年はハンガリーと日本の交流と記念する年で、たくさんの日本の舞台作品がこの劇場で上演されるが、今日は格別すばらしい舞台だった。ヨーロッパで生まれた小説をもとにした作品をあえて上演した勇気を称えたい。鏡を見ているように感じた」ということを言われた。
こちらからは「日本の伝統的なものも知ってもらいたいと思うが、私たちは今回一番新しい日本の作品を見てもらいたいと考えて『変身』を持ってきた。そのことを受け止めてもらえてうれしい」とお礼のことばを述べた。

さらにその後、ラジオ局の取材が入った。
インタビューアーの女性はまず、気持ちが高揚しているのでうまく伝えられないが、今日の舞台にとても感動した、と言ってくれた。
そしてするどい質問。
なぜ『変身』を持ってきたか。
なぜ東ヨーロッパで公演しようと考えたか。
ユダヤ人の問題、ホロコーストのことを日本では話題にするか。
最後の「出発」にどのような意味を込めたか。

こちらが伝えたいことを質問してくれるので、とてもうれしいし刺激的だ。
作品を見た直後にこのようなインタービューができるジャーナリストの質の高さに脱帽した。

バラシ、洗濯、パッキング、積み込み、そしてトレーラーを皆で押してバスと合体させ、終了!
基本的には皆、バリさん運転のチャーターバスでホテルへ帰る。
劇場の近くでさらに飲みたいメンバーは別行動となった。
私は劇場近くのカフェ組です。
通訳さんたち、そしてお友達のピアニストらと飲んだ。
通訳さんたちをねぎらいたいのに、お店ではオーダーや支払いなど、どうしてもお世話になってしまう。
みなさん、ほんとうにありがとう!
2009年9月30日(水)萩京子



今日はブダペスト公演初日である。
ブダペスト以降は様々なことがうまくいっていたら、公演当日のゲネプロをやらなくてもよいかもしれない、と考えていたが、空間があまりに違うことや現地の照明スタッフのためにもゲネプロをやった方がよいと判断する。
午後2時からゲネプロ。
午前中、私は字幕のチェックに加わる。
ハンガリー語は他の三ヶ国に比べると字数が少ないので、字面はよいのだが、悩ましいのは人称である。
ルーマニアでも、この問題はあったのだが、ハンガリーに至って、問題が強く表面化してきた。
「変身」は基本的に語ることばを歌う、というスタイルのオペラ台本なので、誰がそのことばを語る(歌う)か、ということがおおいに問題になるのだった。
この作品では、主人公であるK、あるいはグレゴール自身が「わたしが」と言ったり、「彼が」と言ったりしている。
そして場面によっては、コロスがグレゴールを演じながら発言したりする。
そのことが、この作品の独特の質感を生んでいる。
日本語は主語を省略することが多いので、主語がなくても伝わるのがあたりまえのように思ってしまう。
だが、ハンガリー語は主語を省略しにくいので、ここにいたって通訳のアニタさんとともに字幕台本と格闘する。
「このセリフは誰が言いますか?」
「本人ですか?」
「この彼とは誰のことですか?」
そのようなやりとりが約2時間半行われた。
なぜ今ごろそんな問題が起きるかというと、今回の上演で歌の割り振りを大幅に変えているからである。
つまり、誰がその言葉を言うか、ということを大幅に変更したのだ。
ハンガリー語への翻訳は現在北海道在住のイングリッドさんにお願いしたが、たいへん苦労されたことと思う。
原作に近い部分は出版されているカフカのハンガリー語訳をひもときながら、しかし翻訳著作権の問題もあるので(ハンガリーはきびしいらしい。)まるまる同じ言い回しにならないように気を配らなくてはならない。
イングリッドさんは1998年の上演のビデオに基づいて字幕台本を翻訳してくださっている。今回、歌うパートをかなり変更しているので、字幕もそれに応じて変更しないとおかしなことになるのだということが、ここにきて判明したわけだ。
ひとつのセンテンスをKが言うか、妹が言うか、コロスのひとりがいうか、どれがより劇的な効果を生むか、懸命に考えた。
稽古場でもいろいろ試して議論した部分もある。
この自由さが、作曲上の、または演出上の自由さとして実を結んでいると思う。
はじめからハンガリー語、チェコ語、ドイツ語などの台本で作曲していたら、まったく違う作品になるだろう。
日本語で作曲されているからこそ、このような音楽に仕上がった、ということを、あらためて強く感じた。

ゲネプロ終了後、短いダメ出し。
声も楽器もよく聞こえる。
全体に音が鳴りすぎるので、ピアニシモの表現をもっと工夫してほしい、ということを伝える。

日本では舞台上の掃除は舞台スタッフが行なうのだが、こちらは劇場の係の人が舞台上をモップがけしてくれる。
開場直前まで舞台上にいることはできず、開場30分前には掃除の方に舞台を明け渡す。
そういうことも、こちらに来てみないとわからないことだ。

さて18時半開場。19時開演。
今日もブカレストと同じく、お客様の入りを心配したが、6~7割くらいの入り。
日本人のお客様も多かった。
小さな空間なので、客席の反応も役者にじかに伝わっていく。
舞台の隅々で行われていることがよく見えておもしろい。
こちらの客席の反応は じっくりよく考えながら見ているように思える。、
ハンガリー語のセリフの受けもまずまず。
全体的には日々進化している。
大変なことが多いが、本番がうまくいけばすべてのことが解消される。
終わって観客の熱い拍手。
ブダペストでは2日公演するので、大石が挨拶した。
「ブカレストで公演することができてうれしい。」
ということと、
「明日も公演するのでお知り合いの方に宣伝してください。」
と言ったら、とても受けた。
さて、今日はバラシもないし、翌日も夜公演一回のみなので、ちょっとした打ち上げをすることにした。



とても大変な仕込みだったし、通訳のみなさんにも大活躍していただいている。
海外ツアーの中日祝い的な意味合いも込めて。
通訳さんは4人。
ハンガリー人のアニタさんはブダペスト大学の博士課程の大学院生。
日本の祭りを研究しているという。
日本に住んでいたこともあるといい、とても流ちょうな日本語を話す。
後の3人は音楽家。
コーディネーター兼通訳の桑名一恵さんはオーボエ奏者で、ご主人はホルン奏者とのこと。
ものすごく行動力のある方で、さまざまな申請書をすばやく提出し、問題をどんどん解決していく。
近藤直子さんは合唱指揮者。もうひとり鈴木怜子さんはクラリネット奏者。というわけで音楽談義がおおいにはずんだ。
2009年9月29日(火)萩京子

昨日の帰りから、地下鉄を使っている。
ホテルと劇場は地下鉄で4駅の距離。
青の路線、3号線だ。
こちらの地下鉄は色で分けられていて、1号線が黄色、2号線が赤、3号線が青だ。
今、4号線を工事中とのことである。
1回チケットを300フォリント(約150円)で購入。
最近まで290フォリントだったらしく、290フォリントと印刷されているチケットにボールペンで線が引かれて300、と書いてある。
自動券売機はおつりが出ない。
改札口ともいうべき場所に切符を差し込むところがあり、そこに切符を入れるとガチャンという感触があり、引き出すと切符が切られている。
昔、車掌さんが切符を切ってくれた時代を思い出す。

9時に劇場に入る。
出演者は12時入り、14時舞台稽古開始の予定。
出演者のうち、照明部のダブル佐藤(敏之&久司)は朝9時から。
今回のツアーは照明の条件が不安定で、スタッフはもちろんのこと、ダブル佐藤には大活躍してもらわざるを得ない。
私は志賀さんとともに国際交流基金のブダペスト事務所を訪問する。
所長の分田さんと副所長の田崎さんにご挨拶。
お二方は初日に見に来てくださることになっている。
基金の事務所から劇場へ帰る際に、地下鉄一駅分歩いて、国立オペラ劇場に立ち寄る。
その付近は劇場がいくつかあって、オペレッタ劇場や子供のための劇場などもある。
そこではこんにゃく座がお世話になっている演出家のふじたあさやさんの台本の「べっかんこ鬼」がかかっていて、劇場前には舞台写真も貼られていた。
「べっかんこ鬼」はさねとうあきら作の創作民話で、こんにゃく座ではさねとうさんの台本、林光作曲で、上演した作品である。その「べっかんこ鬼」がブダペストの劇場にかかっているということがなんとなくうれしかった。

さて、劇場にもどり、私は9月27日と28日分の日記を書いて、送信。
(ちなみに今これを書いているのは10月1日です。)

14時スタートの予定が15時になったが、明かりを確定しながらの舞台稽古が始まる。
照明の現地スタッフは3名。チーフのイヴェットさんは美人でスタイルが良くて、回転が早くて、仕事できる!という感じの女性である。
が、ピンスポットを扱ってもらうことになる2名の男子はあまり経験がないらしい。
成瀬さん曰く、芝居でピンスポットを使うという習慣がこちらではあまりないのでは、とのことで、お互いに大変苦労する。
21時半までかかって、最終場面まで行き着く。
舞台監督の凡平さんと照明の成瀬さんと、今後のウィーン、プラハへ向けての対策と方針について話し会う。
劇場近くのカフェで話しているうちに地下鉄の終電がなくなり、タクシー帰り。
(日本にいるときと同じようなことをやっている!)
優良タクシーではなくて、ちょっとあぶないタクシーに値段交渉して乗る。
ホテルに着いたら楽士の一群と出会い、クラリネット橋爪さんのお部屋でさらに飲み会をした。
2009年9月28日(月)萩京子

メルリン劇場での仕込み。
朝8時20分にホテルのロビーに集合。
コンテナーを牽引したチャーターバスで劇場に乗り付ける。
劇場の入り口がたいへん狭いので、曲がりきれない。
コンテナーを外して、人力で押していくことにする。




劇場のすぐ横があろうことが消防署だったので、「こんなところに大型バスを駐車するな」というようなことをハンガリー語で言われ、われらが運転手のバリさんは「ここに搬入するのだからしかたがない」とか「すぐどけるからゴチャゴチャ言うな」というようなことをルーマニア語で叫び・・・、ということが繰り広げられ、やっとのことコンテナーは劇場の敷地内に収まった。
そんななかおもしろいことがあった。
バスの中から劇場入り口にいる通訳さんを見つけた岡原が「おお!すっごい美人!」と叫んだ。
すると、バスの中の男たち(座員、スタッフ、楽士)が一斉に立ち上がってざわめいたのである。
男はみんなこうしたものってことですね。

さて、そんな楽しいエピソードはあったものの、その後は劇場入りの初日はすべてこうなるのか、と思われる緊迫した場面の連続である。
照明機材の台数がもらっていた情報と違っていて、全く足りない。
照明スタッフの人数は確保できているのだが、同じ人が連続で来てくれないと困る、ということが伝わっていなかった、などなど。

ひとつひとつ、ゆっくりと解決していくしかない。

さて、楽屋には全自動洗濯機があったので個人の洗濯物も洗濯できた。
ヨーロッパにはコインランドリーというものが見つからないので、楽屋に洗濯機があるととてもありがたいのである。

夕方からは宣伝のための街頭演奏をする。
今日は楽士さんたちにも加わってもらうことになった。
ということは、クラリネット、ファゴット、ヴァイオリン入りにアレンジしなければならない。
というわけで、ブカレストでアレンジを済ませていた「夢の番人」「雨の音楽」に加えて、「35億年のサーカス」「岩手軽便鉄道の一月」「十二月の歌」を特急仕上げで編曲する。
強力な器楽奏者の参加で、路上の演奏はとても厚みが出て、アピール度を増した。
きれいな街並みは、立ち止まって演奏したくなく場所がたくさんあって困るほど。
事前にロケハンをして、おおよその場所を決めておいた。
そして17時から器楽練習をして、18時出発。



演奏していると、道行く人はどんどん立ち止まってくれて、すぐに人だかりができる。
踊り出す人もいる。
曲と曲も合間に、通訳兼コーディネーターの桑名さんが口上を述べる。
石造りの建物の合間の道々は、声も楽器も良く響き、とても気分が良い。
ヴァーツィー通りからヴェルシュマルティー広場まで、5ヶ所ほどで演奏、19時半くらいまでやって終了。
ドナウ川の夜景を見ながら、劇場に帰る。
川向こうに王宮が見える。
ライトアップされていてとてもきれいだ。
川の向こうがブダ。川のこちらがペストである。

劇場では大変な仕込みが続いている。

2009年9月27日(日)萩京子

クルジュナポカのホテル、カーサ・ズネローの朝。
周りはとてものどかな雰囲気。
出発前のひととき、みんな朝のお散歩にでかける。
午前10時、バス出発。
牛の一群が道に立ちはだかったり・・・、なんとも楽しい。
今日はルーマニアとハンガリーの国境を越える。
ルーマニア側の国境の街はオラーディア。
そこのショッピングセンターでお昼。
昨日のバーベキューの残りや果物だけを食べて節約する人や、ルーマニアでの最後のお買い物なので、ルーマニアのお金を使い果たそうとする人や、すでに持ち金が無くなってしまって、借りたり貸したり、一騒ぎである。
さて国境。
ノーチェックという噂もあったが、ハンガリー側に入ってからパスポートチェックがあった。
バスの後方、洗濯物にうずもれたところに座っていた佐藤ちゃん(敏之)は存在が認識されずにパスポートを出しそびれる。
そのまま通過しようか・・・とも思ったけれど、面倒なことになると困るので、「ここにもうひとりいますよ~」と申告する(笑)。

ハンガリーに入ってからも、広々とした平原が永遠と続く。
夕方ブダペストの街に入る。
ここからはハプスブルグ家の影響下の文化圏となる。
建物、街並みなど、これぞヨーロッパという感じ。
ルーマニアには少しアジアの臭いがあった。

ホテルに到着し、自由行動となる。
温泉に行くグループあり。
水着持参で大はりきりである。
私たち制作チームは、通訳さんグループと合流し、打ち合わせ。
まず劇場へ行ってみることにする。
メルリン劇場。
ルーマニアのオペレッタ劇場とはまったく異なる完全なる小劇場。
例えて言うならば、知る人ぞ知るかつての六本木の自由劇場。
あるいはベニサンピットとか、そういう空間。
自由劇場もベニサンピットもすでにない劇場だけれど・・・。

どんな空間でも受けて立つ、といえば聞こえは良いが、舞台監督、照明プランナーの心労はいかばかりか。
「大変だ」ということをあらためて再確認した次第。

明日から4日間、このメルリン劇場と格闘する。
2009年9月26日(土)萩京子

ブカレストを後にし、ハンガリー、ブダペストを目指しての移動。
午前10時出発。
今日はクルジュナポカという街に一泊する。
ブダペストまで2日かけての移動である。
はじめ、ブラショフを経由する予定だったが、道路事情が悪いとのことで、急遽コースが変わり、シビウ経由となる。
3時過ぎにシビウに着く。
シビウでは毎年春に「シビウ演劇祭」が行われる。
エジンバラ、アヴィニョンと並ぶヨーロッパ三大演劇祭のひとつだ。
街並みはとてもきれいで、どことなくアヴィニョンに似ている。
シビウ演劇祭に参加したら、この通りで宣伝のためのパレードをして、この広場で演奏する・・・など、夢の話をしながら昼食。
通りで「志賀さん!」と声をかけてくる人がいた。
古木(こぎ)さんという日本人男性。シビウのラドゥスタンカという国立の劇場の専属俳優だそうだ。こんなところで知り合いに出会うなんて、志賀さんのルーマニアでの顔の広さには驚かされる。

さて、それから先の道のり、広々とした畑、木々の茂る山道、小さな村、小さな街、などいくつも通り過ぎていく。
信号はほとんどない。
草原には馬、牛、羊。道ばたには犬。
人々はゆっくりとした時間を生きているように見える。
今日は土曜日。
日本でいえば大安吉日というところか。
通り過ぎる街々で、いくつもの教会で結婚式を見かける。

今日の夕食は、宿泊するクルジュナポカのホテル、カーサ・ズネローでバーベキューをやる計画である。
到着時間、天候等、心配だったが、多少遅くなっても決行しようということになり、近くの大型スーパーで、肉組、魚介類組、野菜組、酒組に分かれて買い物。
ホテルに着いたのは20時半。
そこには地元、トランシルヴァニア一帯を網羅しているテレビ局のクルーが来ていた。
コーディネートしてくださったのは、マリウスさん。
日本の劇団がクルジュナポカに滞在するなどということはめったにないことなので、ということで、萩と志賀さんがインタビューを受け、最後に歌を、となり、「夢の番人」「マルチェリーナのタンゴ」「ぼくたちのオペラハウス」を演奏する。

気温はずいぶん下がり、息が白い。

チャーターバスの運転手のバリさんも参加してのバーベキューパーティーは深夜まで続いた。
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