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オペラ「変身」山元清多追悼公演、稽古はじまりました。



今回は新しく、女中の役に元さんの奥さんである稲葉良子さん、通称「ナッパさん」をお迎えしました。

そして下宿人に富山直人、街の人に花島春枝を加えて、名実共に、大きくバージョンアップしました。



稽古初日での顔合わせでは、演出助手の萩窓子さんが挨拶の時に思わず涙声に・・・。

「京子ちゃんの挨拶で元さんの人柄を思い出したから、萩京子のせいだ!」とおっしゃいました。

その萩京子さんは、
「林光さんの挨拶で元さんの素晴らしさを思い出したから、林さんのせいだ!」と、おっしゃいました。

しかし、一番泣いていたのは…。

照明家の成瀬さんでした。
終わりのほうの音楽をみなさんにお聞かせしたのですが、妹が「おしまいよ!」と歌うあたりから、花粉症が酷くなったなどとおっしゃいましたが・・・。
本当は、プラハの照明スタッフがゲネプロの時に照明操作がちゃんとできないくらい感動して泣いていた事や、元さんに「ぼくの照明はこれでいいんでしょうか?」と聞いたら「それでいいんだよ」と言われた事や、たくさんの思い出が渦巻き、泣いてしまったそうです。



そして、稽古場の合い言葉は
「元さんこう言ってたよね。元さんが意外とここでこだわったよね。」

和気あいあい、凄く仲良く稽古しています。

新しく入ったメンバーの予習もすばらしく、演出家がいなくても何とも順調に稽古が進みます。

元さんという人は、亡くなってまで人の心を温かくしてくださるのでした。

下宿人岡原真弓
これより先は以前のツアーの日記になります
2009年10月12日(月)~13日(火)萩京子

朝5時50分ホテルのロビー集合。
早いです。
暗いです。
まあ、学校公演に出かける朝っていうところでしょうか?

6時半ころ空港に着き、運転手のバリさんとバスとお別れする。
バスの旅は良かった。
道具を載せたコンテナーをけん引して、4ヶ国を駆け抜けたのだ。

チェックインを無事終え、アコーディオンの機内持ち込みにも成功した。
寺嶋くんは合唱団の演奏会に合流するため、スロベニアに向かう。
空港でお別れ。

あまり時間もなく、飛行機に乗り込む。
まずはウィーンまで。

ウィーンでは乗り換え時間がたっぷりある。
そこで最後のお買いもの。
大石+田上は空港の一角で、11月のスケジュールの打ち合わせをしている。
だんだん日本での現実が迫ってきた。

ウィーンから成田まで約12時間。
もうみんな疲れ果てて、静かに眠っている人がほとんどだった。

成田に着いたのは日本時間の13日朝7時半ごろ。
荷物も無事ピックアップできて、空港で最後の記念撮影。
そして一本締め。

荷物をハイエースに積み込んだ後、解散。
皆それぞれ電車やバスに乗って帰って行った。

『変身』ヨーロッパツアーはこれで終了。
お疲れさまでした。
旅日記写真提供は姫田蘭さん。

読んでくださったみなさん、ありがとうございました!
2009年10月11日(日)萩京子

プラハ公演2日目。
『変身』ヨーロッパ公演の千秋楽。
このツアー唯一のマチネー公演だ。
12時から稽古なので、11時ごろ劇場に入ればよい。

午前中、プラハを歩く最後のチャンスなので、大石、成瀬、佐藤敏之、萩は、朝7時にホテルのロビーに集合して、お城の方へ行くことにした。
しかし私はトラムのチケットを持っていないので困ってしまった。
トラムは乗ってから現金で払うということができないのである。
チケットの販売機が道ばたにあるが、日曜だからなのか朝早いからなのかわからないが、反応しない。
いったいどうしたらいいのだ?
こうなったら無賃乗車するしかない!
(すみません!こんにゃく座代表はプラハで無賃乗車してしまいました。)
そして少し乗って、地下鉄のある駅で降りて、チケットを往復分2枚買いました!

日曜の朝、道行く人はほとんどいない。
とても静かだ。
カフカ記念館のあたりを通り抜け、プラハ城に向かって登っていく。
雨が少し降ったりやんだりしている。
お城の警備は左右にふたり。
びくとも動かない。
それから、聖ヴィート大聖堂に入った。
ミサが行われていた。
パイプオルガンの音も聞くことができた。
出ようと思ったら、雨がひどくなったので、しばし大聖堂のなかで雨宿りする。
雨がおさまってから、カフカの仕事場のある「黄金の小路」と呼ばれる一角に行く。
カフカの仕事場、22番地の青壁の家は外から見ることしかできなかったが、写真をパチパチ撮って喜ぶ。
急な坂を転がり落ちそうになりながら下り、トラムに乗ってホテルに戻る。

朝っぱらからたくさん歩いたのでお腹がすいた。
9時半過ぎに朝食。
そして11時すぎに劇場に入ってすぐ、お昼のお弁当を食べた!

12時に集合。
今日はバラシ、パッキング、積み込みがある。
しかも明日、荷物を飛行機に載せるため、すべてのトランクを20キロになるように詰めなくてはならない。
洗濯の段取り、それから打ち上げへの行き方など説明の後、合唱の部分を中心に30分くらい稽古する。
稽古が終って、記念撮影。

13時半開場、14時開演。
今日は満席。
最後のステージである。
皆、昨日よりリラックスして伸び伸びとやっている。
観客の反応はやはり暖かく、一幕の終わりの拍手もなかなか鳴り止まなかった。

休憩中ロビーに出るためには、劇場の仕組み上、観客は一端外に出て、そのまま中庭で過ごしてもいいし、ふたたび別の階段でカンティーンに降りて行ってもいい。
雨上がりの気持ちのよい中庭で過ごす人も多く、みなさん興奮気味におしゃべりしている。
中庭の周りの建物には、ごく普通の人々が暮らしている。
ほんとうに面白い空間である。
劇場のオーナーのトゥルバさんが「とてもすばらしい。ビデオをください!」と言う。

このツアーで5場「ロマンス」6場「デュエット」12場「ナハトムジーク」などがとてもよくなった。
全体の流れもすごくよくなり、よどんだところがなくなった。
このまま帰国公演をすれば、どんなにか良い公演になることか・・・、と思うが、残念ながらそれはかなわない。

終曲が終わり暗転になったとたん、大きな拍手。
カーテンコールで大石さんが「カフカの生まれ育ったこのプラハで公演ができて、幸せです。」とあいさつすると、再び大きな拍手をもらった。
カーテンコールは合計4回。
それでも拍手は鳴りやまない。
舞台で大石さんがまわりの人になにかささやいている。
楽士のところにも行ってなにか言っている。
アンコールで何か演奏するのだな。
何をやるのか?
と思っていたら「このプラハの街の歌を歌います。」と言った。
豊島理恵が「シャンソン」とタイトルを言い、序曲とも言うべき「シャンソン」を演奏。

「プラハ ニクラウス通り36番地
河が見える モルダウの流れ
川面をかすめて
カモメの群れが飛んでいる」

そうそう、モルダウ河ではほんとうにカモメが飛んでいました。

「シャンソン」はクラリネットとファゴットとピアノなので、ヴァイオリンはない。
ヴァイオリンの手島さんは歌っていた。
それを見て、私はすごく感動してしまった。

このヨーロッパツアーを計画してから1年半。
林光の『変身』。
山元清多の『変身』。
それをプラハで公演しなければ、という思いで進んできた。
残念ながら、お二人には立ち会ってもらうことができなかったが、ふたりの作者の思い、いやカフカを含めて三人の作者の思いを、舞台で表現することができたと思う。
プラハの観客にそれを受け止めてもらうことができた。
そんなことを思いながら、「シャンソン」を聞いた。

さて、恒例の送り出しの後、バラシ、パッキングである。
劇場の体重計を借りて、久ちゃんがトランクを持って計る。
その数字-久ちゃんの体重=トランクの重さである。
足したり引いたりして、ほぼ20キロのトランクが15個仕上がった。

劇場のスタッフからお礼のことばとプレゼントをもらった。
こちらがプレゼントしなければいけないところなのに!
ウィーンでも照明のスタッフがチョコレートなどをプレゼントしてくれた。
現地のスタッフと本番の成果をともに喜びあうことができて、ほんとうによかったと思う。

さていよいよ打ち上げ。
ビール工場のレストランへ、チャーターバスで出かける。
少し遅れて劇場のスタッフが3人駆けつけてくれた。
ウラジミールさんとペトロさんとシモンさん。
名前がすごい!
みんな良い顔している。
3人を見ていると映画のシーンのようだ。

それから、今回の字幕のためのチェコ語への翻訳をしてくださったトマーシュ・ユーコヴィチさんも来てくれた。
村上春樹の「ノルウェーの森」などのチェコ語訳をしている人だ。
ミーハーなことばかり書いて恐縮だが、トマーシュさんも若くてハンサムである。
背が190センチくらい。
さっそく横に張り付いて、カフカのチェコ語訳は何種類くらい出ているのか、とか、今回の翻訳は大変だったか、とかいろいろ聞いた。
村上春樹のことなども話した。
彼はオペラ『変身』の翻訳に携わることができたことを喜んでくれていた。
そして舞台についても「とてもすばらしかった」と言ってくれた。
良い出会いができたと思う。

さて、宴もたけなわ、私たちは貸し切りではなく、お店の一角に陣取っていたわけだが、お店の人がOKと言うので、歌いおさめをした。
そのためにわざわざ楽士の皆さまには楽器を持って来てもらっていたのだった。
『夢の番人』『十二月の歌』『雨の音楽』の3曲。
お店の人も、他のお客も乗って楽しんでくれていた。
みんなあったかい!
そして、手締め隊長川鍋節雄の音頭で三本締め。

バスでホテルに戻る。
打ち上げのとき、運転手のバリさんにCDをプレゼントした。
そうしたら、帰りのバスでもう「ぼくたちのオペラハウス」をかけて、喜んで聞いてくれている。
街頭演奏にも旗持ちでつきあってくれたし、仲間のような気持ちになっている。
明日お別れと思うとさびしくなってくる。

ホテルに戻ったら、各自自分の荷造り。
もう夜遊びする人もあまりいないようだった。
無事帰国しました。
詳しくは萩代表が書くと思いますが、今回の旅の応援してくださったすべての皆様に、心から感謝です。
旅の正確な日記は萩代表の座日記で、裏話は岡原日記でお楽しみください。



2009年10月10日(土)萩京子

いよいよプラハ公演初日。
11時から昨日の続きの舞台稽古。
14時からゲネプロ、というか通し稽古。
衣裳メイクは適当でよし、ということ。

4ヶ国に至ってもゲネプロしますか~!
やりますね~!

ここはとにかく演技エリアが狭いので、役者諸氏がぜひゲネをやりたいとのことであった。
昨日に比べると、声の通りが良くなっている。
空間に合わせて、それぞれが声の出し方を工夫した結果だろうと思う。

この劇場は、楽屋とロビーは舞台を通らないと行き来できないようになっている。
ロビーからも客席からも楽屋へ行かれない。
つまり、開場時間になると楽屋は閉じ込められた空間となるのだ。
トイレはある。
お茶場として、お弁当を食べるなど楽屋ラウンジ的に使っていた場所は、17時半から掃除が入り、照明が入り、ぐっと雰囲気が変わった。
カンティーンという空間になる。
お客がコーヒーやビールやワインを飲みながら開演を待つ空間だ。

アルフレッド劇場の近くにサッカースタジアムがある。
実は今日、チェコ対ポーランドの重大な試合があるとのことで、プラハの街は大変な状態なのであった。
制作の土居麦より、夜はあまり出歩かないように、とのおふれも出る。
警戒のためだと思われるが、昼間からヘリコプターが飛んでいる。

世界中がここの場所を注目しているのかと思うと愉快である。
多くの人々が注目しているプラハのサッカースタジアムのすぐ側で、日本のオペラ劇団がカフカの「変身」を上演する。

18時半開場、19時開演。
小さい劇場はほぼ満席となった。
今までにない反応、チェコならでは、と思える反応があった。
それは、本編の第一声。
「ある朝、グレゴール・ザムザはいやな夢を見て目を覚ますと、自分が一匹の大きな虫に変わっているのに気がついた」
というところで、ざわざわっと笑いが起きたのである。
ヴァイオリンのくぃーんというグリッサンドにも反応がある。
身を乗り出すように見ている人が多い。

カフカが友人たちの前で自作を朗読した時のような、笑いに満ちた空間・・・オペラ『変身』が目指した「場」が出現したように思えた。
佐藤敏之支配人の動きや叫び声に客席は大喜びし、下宿人のモグモグ・・・も大受けである。
実はこの下宿人の食事場面のヴォーカリーゼについては、冷や汗ものの一幕があった。

まずはハンガリーで。
下宿人のヴォーカリーゼはお祈りから食事へと移るのだが、ヴォーカリーゼの音声「○○○○・・・」に現地スタッフが騒いでいるので、受けているのかと喜んでいたら、実はかなりやばい隠語とのことだった。

そこで言葉を変えて、ブダペスト公演は乗り越えた。
ウィーンでも注意して、事前に調査してクリア。
そしてここプラハでも事前調査はしたのだが、日本人のうら若き女性通訳さんたちは、そういうことは知らなかったのである。
舞台稽古になって、劇場スタッフ(男性陣)がザワザワしているので、あれっと思っていると、案の定、○○が問題なのだった。
下宿人のひとり、岡原がヒエーっと言ってひっくり返る。
またまた急遽言葉を変える。

日本のオノマトペがおもしろく伝わるといいな、と思っていたのだったが、思わぬ落とし穴があったというわけだ。
下世話な隠語で笑いをとろうとは思っていないので、まあ変更は仕方がない。
海外公演はいろいろ気をつけなくてはならない点は多い。

さて本番。
今までで一番反応があった。
チェコ人の反応、日本人の反応、それぞれに、今までと同じ場所での反応、今までにない反応など、とてもおもしろい公演となった。
終わってからの拍手もなかなか鳴り止まなかった。

本番中にヘリコプターの音なども聞こえた。
外部の音が完全にシャットアウトされていない劇場というのも悪くない。
私はこのごろ、コンサートでも、外の音が多少聞こえることが悪いこととは思えないようになってきた。
サッカーの試合、ヘリコプターの音が聞こえるプラハでの「変身」公演。
2009年10月10日の「変身」がここにある。

終わって、カンティーンで乾杯。
私はこんにゃく座代表としてごあいさつ。
「1996年の初演以来、『変身』をプラハで公演することが私たちの夢でした。
その夢が実現できて、とてもうれしい。
この作品を作曲した林光、台本・演出の山本清多はどんなにかこのプラハ公演に立ち会いたかったことでしょう。
私たちは彼らの分も喜びを感じています。
劇場スタッフのみなさん、ありがとう。」

フランクフルトから来た方もいた。
今日はチェコ語字幕だったが、ドイツ語しか解さないその方は、まったく問題なく作品を楽しんでくれた。

プラボ紙の音楽評論家のヒルディノヴァさんも、「カフカをこのように舞台化したこと」をたいへん評価してくださった。
カフカの生きた時代が表現されている、と言ってくださった。
チェコでもこのような作品化はまったく行なわれていない、と言う。
「変身」のなかに、笑いが満ちていることに驚きを示し、心から楽しんでくださったようだ。

劇場を出ると、サッカー観戦帰りの人たちとすれ違った。
結果はどうだったのだろうか?
2009年10月9日(金)萩京子

歌役者、演奏者の集合は16時。
皆それぞれに過ごす。
あちこち歩く人。
買い物する人。
ホテルにこもって、ハガキを書きまくる人などなど。
たまっている仕事をこなしている人もいるようだった。
(クラリネットの橋爪さんがなにやらの報告書を書いていました!)
帰国が近づくと、いろいろとやらなくてはいけない宿題が迫ってくる。

舞台スタッフは10時から。
照明は11時から。

今回は、テーブルと椅子、そしてキャスター付きドア枠3個というシンプルな舞台装置なので、大道具の設営は無い。
が、舞台スタッフの仕事としては、幕を張り、床にリノリウムを張り、朗読会のランプを吊り、バミリ(正しくはバギリ)と言って、役者の立ち位置、道具の置き位置をテープで貼る、という大変な作業がある。
公演を重ねると、役者が慣れてくるので、バミリテープの数は減らしていくことができる。

照明の仕込みは、釣り込み~シュート(フォーカスという言い方もされる)~明かり作り・・・と進んでいく。
照明家は演出に即して照明プランを立て、劇場に合わせて仕込み図を書き、現場で現実的対応をする。
海外で通訳を介して、現場のスタッフを相手にして進めなくてはならない照明は、なかなか大変な仕事だ。
照明プランナーの成瀬さんの、この作品へのこだわりは大きい。
毎回かなり異なった劇場条件のなかで、激しく状況と戦い、表現したい核を獲得していく。
舞台スタッフはそれを支えていく。
舞台監督の凡平さんと舞台監督助手の久寿田義晴さんは、ほとんど観光もできず、劇場に張り付いている。
それから、字幕操作の三宅さんも、ずっと劇場に張り付いてくれている。
感謝!

10時からピアノが搬入された。
ボヘミヤという銘柄(笑)のピアノ。
製造はベヒシュタインだ。
新品とのことである。
これまでは、ご老体のピアノで音に味があったが、今回のピアノは若者である。
どんな音を紡ぎ出してくれるだろうか?

私は劇場のラウンジに陣取って、10月6日、7日、8日の日記を書く。

17時から舞台稽古。
一昨日より、寺嶋くんがちょっとドイツへお出かけなので、萩がピアノを弾く。
歌役者諸氏、演奏者諸氏にはテンポの違和感はないのに、照明のコンピューターに演奏タイムの違いを指摘される!
3場のフモレスケをやっている頃、寺嶋くん登場。
交代する。

さてさて、演技エリアがたいへん狭い。
ヴァイオリン、クラリネット、ファゴットは縦に並ばざるを得ない。
とてもクラシックな譜面台が調達された。表情がある。
客席は急勾配だ。
すり鉢の底で演技をする感じである。
演技エリアが狭いので、各場面動きを修正しながら進める。
居場所がなくなったり、通り抜けられなくなったりなどで、たびたび「すみませ~ん」と役者から声がかかる。

夕食休憩をはさんで21時半まで。
11場アリアあたりで時間切れ。
明日に残すこととなる。
2009年10月8日(木)萩京子

10時からプラハのアルフレッド劇場の仕込み。
楽屋がとても狭いので、お客様用のラウンジスペースがお茶場となる。
楽屋部は劇場事務所で洗濯機を借りて、お洗濯など。
建物の中庭に干す。
生活感が溢れる。



10月6日と7日の日記を書こうとするが、落ち着かず書き進めることができない。
午後、大石さんと街頭演奏の場所の下見に出かけることにする。
トラムで、カレル橋近くまで行く。
そしてまずカフカ博物館をちょっとのぞいたら、小村さんにばったり会った。
元さんへのおみやげにカフカのTシャツを買う。
カレル橋を渡る。
大々的に修復工事をしているので、ちょっと残念だ。
ウィーンも工事だらけだった。
ウィーンやプラハの街も変わっていくのだろう。

旧市街広場を中心に演奏する場所を決めていく。
みんなのためのトラムのチケットも買った。
たくさん歩いた。
石畳を歩くのは楽しいが、足が疲れる。

トラムに乗って劇場に戻る。
17時に出発しようとするが、雲行きがあやしい。
少しポツリポツリと降ってくる。
雨が降ってしまったら、街頭演奏はできない。
「やんでくれ~!」と願う。
今日は照明スタッフに加わっている佐藤敏之、佐藤久司も街頭演奏に参加できることとなった。
ウィーンで、「あのふたりも街頭演奏に参加させたい。せめて最後のプラハだけでも」と、照明プランナーにお願いした。
照明の仕込みは各国とても大変で、このアルフレッド劇場もご他聞にもれず大変な様子ではあったが、二人に街頭演奏をさせたいという願いを今日は実現させてくださったのである。成瀬さん、ありがとう。



舞台スタッフの酒井については、18時になったら抜けてもいいよと凡平さんが言ってくれたので、まず、この劇場の近場で地元の人々に向けて演奏して、あらためて18時にトラムに乗って市街地に繰り出すときに酒井くんを迎えに来ることにした。
凡平さん、ありがとう。
雨がやんだので劇場を出る。
劇場近くのトラムが交差する交差点で、5曲演奏する。
今日は運転手のバリさんが旗持ちで参加してくれている。
ごく一般の通勤の人や買い物の人がどんどん立ち止まって聞いてくれる。
用意したチラシがまたたく間になくなっていく。
制作のナナ子がチラシの追加コピーに走る。
私は劇場まで酒井くんを迎えに行く。
そのころ、雨が降り始める。
交差点に着くと、木の下などで雨を避けて、数人ずつかたまって待ってくれていた。
傘を持っているのは半分以下で、さてさてどうするか。
でもとにかく旧市街地広場へ行ってみよう、ということで17番のトラムに乗り込む。
旗を持っている人、譜面台を持っている人、楽器を持っている人などなど、あやしい日本人+チェコ人(通訳のヤンさん)+ルーマニア人(運転手のバリさん)の集団総勢20名以上。
なんとか無事トラムに乗り込む。
降りる駅のことでひともめあったが、とにかく降りて歩き始める。
そのときには、ありがたいことに雨はやんでいた。
まず、カフカ展示館の前で演奏する。
石造りの建物と石畳に声と楽器の音がよく鳴り響き、あっという間にひとだかりができる。
3曲演奏する。
演奏の合間には、ヤンさんが口上を述べる。
話しかけて来る人が多くて、ヤンさんはたいへん忙しい。
拍手や歓声もにぎやかに次の場所へ。
旧市街広場、有名な仕掛け時計のそば、ティーン聖母教会を正面に見ながら3曲演奏。
ここでもたいへん暖かな拍手をもらう。
それからまた歩いて、「ドン・ジョヴァンニ」が初演されたエステート劇場を通過し、ヴァーツラフ広場へ。
そこでまた3曲。
ここで、かけつけてくれていたヴァイオリニストの山崎千晶さんが、街頭演奏に加わる。
ダブルヴァイオリンとなった!
注目を集める度合いは、これまでの3ヶ国のなかで一番大きい。
歌う陣営も、佐藤敏之、酒井聡澄、佐藤久司の男性3名が加わって、迫力が増した。
「雨の音楽」アドリブ部分での橋爪+大石のインプロビゼーションもいよいよ盛り上がり、エンディングの久ちゃんのパフォーマンスも乗りに乗って、街頭演奏は大成功のうちに終わった。
カフカの生まれ育ったプラハの街なかで、歌うことができたことの喜び。
スタッフの皆さんは劇場で奮闘している。
感謝!

劇場に戻り、歌役者、楽士はそのまま解散。
私たちが街頭演奏に出かけた直後、照明にトラブルがあったようだ。
仕込みは10時まで続いた。


2009年10月7日(水)萩京子

ウィーンを出発、一路プラハへ!



日本・ドナウ交流年の事業としてのルーマニア、ハンガリー、オーストリアの公演は無事終了した。
ここから先、チェコへの旅は、「変身」初演からの夢の実現である。
ウィーンでの公演も大好評だったので、みんな疲れや二日酔い(笑)など、それぞれいろいろ抱えてはいるものの、ちょっと興奮気味だ。

10時にチャーターバスでホテルを出発。
道具を積んだコンテナーは劇場に停めてあったので、劇場に立ち寄り、そこでバスとコンテナーを合体させる。
プラハへの行き方として、高速道路で行くと400キロ。一般道で行くと300キロ。時間的には同じくらいだがどちらにするか、と運転手のバリさんに聞かれ、一般道を選んだ。
草原や畑を抜けて、町が現れ、また畑が続く・・・そしてまた町が現れ、また草原が続く。
ウィーンからプラハへ。
モーツアルトが馬車で通ったかも知れない道を行きたいと思った。
お昼休憩はチェコ側になる見込みだ。
チェコのお金コルナに両替することができるかどうかが大問題だが、なんとかなるだろう、と出発する。
あっという間に国境を超えた。
ノーチェック。
チェコに入ったとき、バスの中では拍手。
ついにやってきました。チェコへ!

お昼休憩は、大型スーパーとアウトレットと中国バザールが同居している不思議な一角で。
大型駐車場あり。
今日は閑散としているが、土日には人が集まるのだろうか?
さて、お店ではユーロが使えたようである。
私は、昨晩の劇場でのお弁当の残りのカレーとナンとライスがたくさんあったので、芝生に座り込んで、カレーを食べる。
カレーパーティーは10人以上の賑わいで、ハンガリーでいただいた赤ワインも持ち出して、まるでピクニック気分で楽しい昼食となった。

プラハの街に入ったのは夕方17時ごろ。
ホテルにチェックインするやいなや、カレル橋を見に行くツアーが組まれ、大勢出かけて行った。

私は制作チームと現地のコーディネーター、通訳さんと合流する。
まず劇場を見に行く。
アルフレッド劇場はホテルから3~4分のところにある。
今回のツアーで一番狭い空間だ。
建物の中庭にある。
まわりはアパートだ。
劇場は半地下で、入り口は階段を下りていく。
客席後方半分が地上に出ている。
なんとも不思議な立地で、劇場に入るといきなり日常と切り離された異空間という感じがする。
客席は急勾配。
椅子はなく、階段席に直接すわる。(座布団が用意されている。)
明日からの仕込みがどうなるか、今日は嵐の前の静けさ、というところ。
劇場を出たところで、舞台監督の凡平さんと出会い、明日の道具の搬入について相談する。バスの駐車、コンテナーをどうずるか、などを相談。

それから、プラハの街が見下ろせる高台のレストランで、打ち合わせ兼食事。
そのあたりは、以前スターリンの像があったところだそうだ。

初日のチケットは残り少ないとのこと。
今までの国では「売れていない」という情報ばかりだったので、大喜びする。
チケットは売れていても、宣伝のための街頭演奏はやっぱりやりたい。
プラハの街中で歌いたい。
というわけで、どこでやれるか、相談する。
ウィーンと同じく、厳密には事前に許可をとらなければいけないらしいが、やはりウィーンと同じく、「やってしまおう」となった。
市民の集まる場所、観光客の集まる場所、など何ヶ所か選び出す。
明日の夕方決行予定。

コーディネーターの黒島亜紀さんはと通訳のクチェラ麻里さんはヴァイオリニスト。
もうひとりの通訳のヤン・ペラントさんは指揮者。
音楽チームだ。
きめ細かい準備をしてくれていて、たいへんありがたい。
ハンガリーの桑名さんもそうだが、外国で活躍している日本人音楽家、その溌剌とした姿がすがすがしくて頼もしい。
2009年10月6日(火)萩京子

ウィーン公演2日目。
開演は20時なので、今日は半日フリータイム。
王宮ツアー。
美術史美術館ツアー。
マーラーのお墓ならびにベートーヴェン縁の場所ツアー。
モーツアルトがフィガロを作曲した家ツアー。
などなど。



それぞれ好き好きに動くが、そこかしこで出会ってしまう(笑)。
16時15分ホテルからチャーターバスで劇場へ。

今日は、東京での一ヶ月の稽古を見学し、俳優座公演のお手伝いもしてくれた芸大大学院生の生田美由紀ちゃんが現れた。
本当はサプライズで登場しょうと思っていたらしいのだが、彼女がウィーンに来ることはすでにすっかりみんなに知れ渡っていた。
彼女は私たちの旅のコースとは逆、プラハ→ウィーン→ブダペストと旅行してオペラを見て回っている。
俳優座公演のときは、照明のキュー出しという仕事を引き受けていたので、客席から見るのは今日が初めて、ということになる。
「おもしろい!東京のころよりすごくテンポがよくなっている!」と言う。

「変身」は東京→水戸→ブカレスト→ブダペストと経て、ますます密度の濃い舞台になってきている。
旅が作品を成長させ、歌役者ひとりひとりを成長させているのだと思う。

今日も観客の反応はすばらしい。
ブラボーが出た。
終演後、ロビーでは昨日と同じようにワインなどが出され、すぐに帰りたくない人は舞台の余韻にひたったり、出演者と語り合ったりする。
これはとてもいいことだと思った。
日本ではほとんどの場合、劇場を出なくてはならない時間が決まっているので、終演するやいなや、お客様には帰っていただかなくてはならないし、出演者はさっさとメイクを落として着替えて劇場を出なくてはならない。
劇場で見知らぬ観客と接することは、とても刺激的だ。
みんな必死の英語で観客とコミュニケーションしている。

今日でウィーン公演は終わりなので、バラシ、パッキング、積み込みがある。
何人かのお客様はバラシまでのぞいていた。
そのひとりは、私たちの街頭演奏を聴いてチケットを申し込んできてくれた人で、CDまで買ってくれた。
もうひとりはギムナジウムの先生をしているという女性で、「ウィーンでやっているものはまったくつまらない、今日の舞台はとてもすばらしい。たまたまラジオで情報を得て見に来ることができた。もっと宣伝しないとだめよ。子供たちにも見せたい。」と言ってくれた。そしてとても大切なものだと思うのだが、カバンの中からロザリオを出して、私にくれたのである。

観客の熱い思いにふれると、勇気を得る。
カフカをヨーロッパに持ってくることに、まったく不安がなかったと言えば嘘になる。
だが、「カフカをよくぞこのように、おもしろく舞台化してくれた。」というたくさんの声を聞いた。
「すべてがよくわかる。」とも言われた。
カフカが書いたドイツ語の国で、熱烈に受け入れられたことが、とてもうれしい。

バラシも後半になると、劇場スタッフが客席を解体し始める。
劇場スタッフはアルゼンチンの人とキューバの人だったので、彼らの景気づけに、だと思うが、すごいボリュームでラテンの音楽がかかった(笑)。
深夜0時をまわるころだった。
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